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明石花火大会歩道橋事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明石花火大会歩道橋事故
事故があった歩道橋
日付 2001年(平成13年)7月21日
時間 20時30分ごろ (JST)
場所 兵庫県明石市のJR神戸線朝霧駅南側の歩道橋
北緯34度38分38.16秒 東経135度1分2.69秒 / 北緯34.6439333度 東経135.0174139度 / 34.6439333; 135.0174139座標: 北緯34度38分38.16秒 東経135度1分2.69秒 / 北緯34.6439333度 東経135.0174139度 / 34.6439333; 135.0174139
死者・負傷者
11名死亡[1]
183名負傷[1]
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明石花火大会歩道橋事故(あかしはなびたいかいほどうきょうじこ)は、2001年(平成13年)7月21日に兵庫県明石市で発生した群衆事故である[2]。11名が死亡し、183名が負傷する被害を出した[1]。

明石市と兵庫県警察の警備体制の不備や警備会社を含めた事故後の対応が問題となり、マスコミでも報じられた。

概要

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2001年(平成13年)7月20日より明石市大蔵海岸にて「第32回明石市民夏まつり花火大会」が行われた[2]。開催2日目となる7月21日の午後8時30分頃、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線(愛称:JR神戸線)朝霧駅南側の歩道橋において、駅から来た客と会場からの客が合流する南端で、1平方メートル当たり、13人から15人という異常な混雑となり、「群衆雪崩」が発生した[2][3]。その際、周囲に知らせる為に歩道橋の屋根上にまで登る者も続出した[2][4]。

事故により、11名が全身圧迫による急性呼吸窮迫症候群(圧死)等により死亡し,183名が傷害を負う[1]被害を出す惨事となった。死亡した11名は、小学生以下の児童(9名)と70代の女性(2名)であった[2]。

2005年(平成17年)11月、この死亡事故を教訓として警備業法と国家公安委員会規則が改正され、警備業務検定に従来の常駐警備、交通誘導警備等に加え、雑踏警備が新設された[5]。

原因

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会場の大蔵海岸と朝霧駅との間には国道2号が通っており、歩道橋以外の連絡がなかったことが大きな原因の一つであった[2]。この歩道橋以外のアクセス経路としては、朝霧駅東側の踏切や西側の跨線橋があったが遠回りになり、山陽電気鉄道本線の大蔵谷駅や西舞子駅があるものの、会場から遠いという難点があった[2]。加えて、暴走族との衝突が発生しても警備がしやすいという理由から、歩道橋から続く市道に180店の夜店を配置していた[2]。

この結果、事故現場の歩道橋がボトルネックとなり、歩道橋上で駅から会場に向かう人の流れと、会場から駅に向かう人の流れが衝突して滞留が発生した[2]。主催者側も迂回手段についてのアナウンスを行わず、更に当日は蒸し暑く、歩道橋が透明なプラスチックの側壁に覆われた構造の為、蒸し風呂状態となり、心理的に焦りが発生したことも事故発生の要因の一つとなっている[2][3]。

警備上の問題

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事故後、兵庫県警察の対応や警備計画の問題点が明らかになった。

この花火大会に当たり、明石市と兵庫県警察本部(明石警察署)、警備会社のニシカンとの間で事前の警備計画の協議が不十分だったことや、7か月前の2000年12月31日に行われた「世紀越えカウントダウン花火大会」の警備計画書をほとんど丸写しにしていたことが判明した[6]。更に、その計画書もコンサートなどのイベント用に設計されたものを流用しており、「世紀越えカウントダウン花火大会」の開催時(約5万5000人が参加)にも同様の滞留が起きて軽傷者が出ていた[3]。約15万人から20万人の参加者が予想されていた本大会には、この問題点が活かされていなかった[3][6]。

また、兵庫県警察が暴走族対策を重視して夜店の配置を集中させ、暴走族対策の警備要員を292名配備していた一方で、雑踏警備対策には36名しか配備されず、雑踏対策が軽視されていた[3]。

ニシカンは、事故直後の新聞に「茶髪の青年が無理に押したので群衆雪崩が発生した」「茶髪の青年達が歩道橋の天井によじ登って騒ぎ不安を煽り立てた」と証言して責任逃れを図ろうとし、マスメディアの報道では、この証言を元とした評論も見受けられた[4]。ところが後日の調査によれば、実際は、その茶髪の青年達は歩道橋中央での惨事を通報する為、歩道橋のプラスチック壁を破壊して屋根に登り、歩道橋への群衆流入を阻止しようと、惨事を皆に伝え、119番で救急車を要請していたことが判明した[7]。事故当時、電話回線の輻輳により、携帯電話を用いた110番通報は繋がらない状態であった。

事故発生当時の明石市長の岡田進裕は、この事故と同年12月30日に発生した大蔵海岸での明石砂浜陥没事故の責任を取り、任期途中の2003年の統一地方選挙前に市長を辞職した[8][9][10]。

裁判

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最高裁判所判例
事件名  業務上過失致死傷被告事件
事件番号 平成19(あ)1634
2010年(平成22年)5月31日
判例集 刑集第64巻4号447頁
裁判要旨
花火大会が実施された公園と最寄り駅とを結ぶ歩道橋で多数の参集者が折り重なって転倒して死傷者が発生した事故について、雑踏警備に関し、現場で警察官を指揮する立場にあった警察署地域官、及び、現場で警備員を統括する立場にあった警備会社支社長の両名において、いずれも上記のような事故の発生を容易に予見でき、且つ、機動隊による流入規制等を実現して本件事故を回避することが可能であった本件事実関係の下では,両名には上記事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務を怠った過失があり、それぞれ業務上過失致死傷罪が成立する。
第一小法廷
裁判長 横田尤孝
陪席裁判官 宮川光治、櫻井龍子、金築誠志、白木勇
意見
多数意見 全員一致
参照法条
 刑法(平成13年法律第138号による改正前のもの)211条前段
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最高裁判所判例
事件名  業務上過失致死傷被告事件
事件番号 平成26(あ)747
2016年( 平成28年)7月12日
判例集 刑集第70巻6号411頁
裁判要旨
花火大会が実施された公園と最寄り駅とを結ぶ歩道橋で多数の参集者が折り重なって転倒して死傷者が発生した事故について、警備計画策定の第一次的責任者ないし、現地警備本部の指揮官という立場にあった警察署地域官と、同署副署長ないし、署警備本部の警備副本部長として同署署長を補佐する立場にあった被告人とでは、分担する役割や事故発生の防止の為に要求され得る行為が基本的に異なっていたなどの本件事実関係の下では、事故を回避する為に両者が負うべき具体的注意義務が共同のものであったということはできず、被告人に同署地域官との業務上過失致死傷罪の共同正犯は成立しない。
第三小法廷
裁判長 大谷剛彦
陪席裁判官 岡部喜代子、大橋正春、木内道祥、山崎敏充
意見
多数意見 全員一致
参照法条
 刑法60条、刑法(平成13年法律第138号による改正前のもの)211条前段,刑訴法254条2項,刑訴法337条4号,刑訴法(平成16年法律第156号による改正前のもの)250条4号
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民事訴訟

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9遺族が明石市・兵庫県警察・ニシカンを相手に民事訴訟を起こし、2005年6月28日、神戸地方裁判所(紙浦健二裁判長)は「被告のいずれかの1者でも万全の準備を行っていれば、事故の発生を防げた可能性があり、事前準備段階における責任は極めて重い」として、3者に計約5億6800万円の損害賠償を命じた[11][12]。原告・被告共に控訴せず、確定判決となった[13]。

刑事訴訟

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検察官による訴追

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刑事裁判では、兵庫県警察が計画策定と当日警備の両方の業務上過失致死傷容疑で、明石警察署・明石市・ニシカンの当時の担当者ら計12人を書類送検し、内、当日警備の5人を神戸地方検察庁が在宅起訴した[14]。

2004年12月17日、神戸地方裁判所(森岡安広裁判長)で兵庫県警察の警察官1名、ニシカン1名に禁錮2年6月の実刑、市職員3名に禁錮2年6月・執行猶予5年の有罪判決が言い渡された[15]。全員が控訴したが、明石市の次長は翌2005年2月に控訴を取り下げている[16][17][18]。

2007年4月6日、大阪高等裁判所(仲宗根一郎裁判長)は「歩道橋の混雑状況から事故を予測できたのに、見物客の生命と安全を守る務めを果たさなかった。署長が雑踏警備班の人員削減を命じた際、何の指摘もなく従うなど、事故原因となる事情に関わったことも見過ごせない」などと述べて、一審・神戸地裁の判決を支持し、4被告人の控訴を棄却した[19][20]。2010年5月31日、最高裁判所は上告していた2被告の判決を棄却し、神戸地裁の判断が確定判決となった[21]。

検察審査会による訴追

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一方、書類送検されながら不起訴になった兵庫県警察明石警察署の署長・副署長について、神戸検察審査会に申し立て、3度起訴相当と議決をしたが、神戸地方検察庁は3回とも不起訴とした。起訴相当を3回受けて3回とも不起訴としたケースは、岡山市短大生交通死亡事故(この事件は不起訴不当議決3回)などがあるが、極めて異例であった。

  • 2004年4月23日に検察審査会が1回目の起訴相当の議決[22][23]。2004年9月、署長と副署長を2回目の不起訴[24]。
  • 2005年12月22日に検察審査会が2回目の起訴相当を議決[25]。2006年6月、署長と副署長を3回目の不起訴[26][27]。
  • 2009年7月30日に検察審査会が3回目の起訴相当の議決[28]。2009年10月、副署長を4回目の不起訴(署長は2007年7月に死亡[29])[30]。

2006年10月、3回目の不起訴に対して、遺族側は元署長らに対して3度目の審査申し立てを行う方針を決定[31]。2004年5月に公布され、2009年5月までに施行予定の改正検察審査会法により「同一の事件について起訴相当と2回議決された場合には、起訴議決として必ず起訴され、裁判所が指名した弁護士が検察官となる」と定められた為である[31]。

業務上過失致死罪については、2006年7月21日が公訴時効成立の期限であるが、刑事訴訟法254条によると、「共犯者の公判中は公訴時効が停止する」との規定があり、公判中の明石署の担当者との共犯関係があると解釈されれば起訴できると遺族側は見ており、改正検察審査会法の施行当日である2009年5月21日に審査申し立てを行った[32]。但し、2007年7月に元署長が死亡した為、元副署長についてのみ申し立てをしている[32]。ただ、故意犯の共犯と比較して過失犯の共犯が成立する範囲は狭く[33]、この事故において起訴された者と副署長との間に、共犯関係を肯定できるかは意見が分かれた。

3回目の神戸検察審査会による起訴相当議決を受けて、再捜査をした神戸地方検察庁は4回目の不起訴とした[30]。理由に、遺族への説明会において、当時の警察官20人を事情聴取や事故当日の無線記録を再捜査した結果、副署長は計画段階では歩道橋周辺に警察官を固定配置し、必要があれば機動隊などを投入する権限を現場指揮官だった同署地域官に与えて、事故防止に必要な一応の措置は講じており、雑踏警備の計画策定段階での注意義務違反や警備当日に事故を予見できたことを裏付ける証拠が出ず、公判を維持して有罪に持ち込めないとし、法と証拠に基づいて適切に判断した結果だとした[30]。

2010年1月27日、改正検察審査会法に基づき、検察審査会が副署長に対する起訴議決を行い、起訴されることが決定した[34]。同法において強制起訴となった初めての事例になった[34]。

2012年1月19日、神戸地方裁判所(奥田哲也裁判長)で元副署長の公判が開始され、罪状認否で元副署長は無罪を主張した[35]。また、弁護人は「事故は当時認識されていなかった群衆雪崩によって発生した」などと主張した[35]。

2012年9月12日、論告求刑公判が開かれ、検察官役の指定弁護士は「歩道橋への流入規制措置などを取らず、事故を発生させた過失は、非常に重大」として元副署長に禁錮3年6月を求刑した[36]。

2012年11月15日、最終弁論が開かれ、弁護人は「元地域官と不注意を助長し合っていたとは言えず、共犯関係にはなかった。既に時効が成立している」と述べて免訴を求めて結審した[37]。

2013年2月20日、神戸地方裁判所(奥田哲也裁判長)は「元副署長は責任者や担当者でないが、元署長を補佐し、担当者らを指揮監督して元署長の権限を適正に行使させる義務があった。事前の警備計画について元署長の権限行使が適正でなかったと言わざるを得ず、元署長を補佐する元副署長の権限行使も不十分だった疑いは否定できない」とした上で、「元副署長が予想できた事情は抽象的な危惧感に過ぎず、元副署長が事故を予見する義務があったとは言えない。警備計画に不十分な点がなければ、事故は発生しなかったということではない。元副署長の権限行使と事故との因果関係も認められない」として上記の共犯関係を否定し、起訴時点の2010年4月には、公訴時効である5年を過ぎているとして、裁判の手続きを打ち切る免訴を言い渡した[38]。同日、免訴を不服として検察側指定弁護士は控訴した[39]。

2014年4月23日、大阪高等裁判所(米山正明裁判長)は「警備計画の不備と事故が起きたこととの関係は否定されるべきではない」と警備計画の不備と事故との因果関係を認めたが、「計画の策定に当たって元副署長の権限は限定的で、義務違反はなかった」として、また、一審と同様に、強制起訴時点で公訴時効が成立しているとして、控訴を棄却した[40][41]。

その後、指定弁護士が最高裁判所に上告[42]。2016年7月12日、最高裁判所が上告を棄却し、免訴が確定した[43]。

その後

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2002年(平成14年)7月12日に事故現場へ設けられた慰霊碑「想」

この事故を受け、翌2002年から「明石市民夏まつり」は一旦中止され、2004年から明石公園に場所を移して再開されたものの、花火大会は開催されなくなった[44][45][46][47]。また、近隣の神戸市垂水区の海神社でも毎年7月に奉納花火大会が開催されていたが、2007年から花火大会が中止された。

兵庫県内外でも同様に、同年、または以降の多くの花火大会が中止となり、土日開催を避ける花火大会も見られた[48][49]。また、警備上の問題があるイベントについても中止・縮小などを余儀なくされた[50][51][52]。

また、この事故を教訓として、翌2002年に開催されたサッカーワールドカップ日韓大会では、会場近くの臨時駅である鹿島サッカースタジアム駅(茨城県鹿嶋市)まで、東京方面から臨時列車を運行する予定であったが、小駅における混乱を未然に防ぐ目的から、同駅乗り入れを取り止め、手前の常設駅の鹿島神宮駅までの運転に変更している[53][54]。

この事故でベビーカーに覆い被さり乳児の命を守った犠牲者女性(享年71)に対し、社会貢献支援財団により「社会貢献者表彰日本財団賞」が授与された[55]。

当時現場で救助や誘導を行った男子大学生は、後年、地元に戻って消防士となり、救助された女児は看護師となった[56]。

報道への影響

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  • この事故の日にフジテレビ及びFNN系列各局で放送されていた『FNS ALLSTARS27時間笑いの夢列島』では、深夜の「さんま・中居の今年も眠れない」の後に、この件のニュースを放送していた。この後、ウッチャンナンチャンの内村光良によるドミノ倒し企画が放送される予定だったが、「ドミノ倒しが事故を連想させる」として、フジテレビは、この企画を急遽取り止めた[57]。
    • エリア内のフジテレビ系列局である関西テレビは、これとは別に独自の臨時ニュースを追加放送した。
  • テレビ朝日系列全国24局ネットで放送した「全英オープンゴルフ」の放送内に緊急報道特番を放送した。
  • 日本将棋連盟は、事故発生から4日後の7月25日付で報道機関に対し「将棋倒し」の表現は「誠に不適切な使い方である」として、事故などの報道で、この言葉の使用をやめるよう、要望書を出した[58]。尚、同連盟の要望書は、この事故だけでなく、群集事故の報道全般について「将棋倒し」の語を使うのを止めるよう、強く求めたものである[58]。同連盟からの抗議を受け、以降はNHKでは「人が折り重なって倒れ…」との表現に改めている。

脚注

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  1. 1 2 3 4 最高裁第一小法廷 (2010). “平成22年5月31日決定(平成19年(あ)過失致死傷被告事件)”. 刑集 64巻 (4号): 447頁. オリジナルの2017-07-13時点におけるアーカイブ。.
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 『朝日新聞』2001年7月22日 朝刊 1総合1頁「花火見物の歩道橋で将棋倒し、死者10人 兵庫・明石」(朝日新聞東京本社)
  3. 1 2 3 4 5 『朝日新聞』2001年7月23日 朝刊 1社会39頁「警備手薄、橋に3000人 明石・将棋倒し10人死亡事故」(朝日新聞東京本社)
  4. 1 2 『朝日新聞』2001年7月25日 夕刊 1社会39頁「橋南端の若者ら引き金? 明石の将棋倒し(群衆・惨劇)【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  5. ↑ 「雑踏警備「警察に責任」 県警、実施要領を改正」『神戸新聞』神戸新聞社、2005年11月9日。オリジナルの2007年8月19日時点におけるアーカイブ。2025年9月5日閲覧。
  6. 1 2 『朝日新聞』2001年8月7日 朝刊 1社会27頁「昨年末の警備"丸写し" 明石の花火大会(群衆・惨劇)【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  7. ↑ 「明石・歩道橋事故 誤解された屋根の上の『真実』」神戸新聞、2001年8月5日付
  8. ↑ 「明石市長が辞任表明 歩道橋、陥没事故で引責」『神戸新聞』神戸新聞社、2002年12月4日。オリジナルの2004年10月28日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  9. ↑ 「明石市長が辞表 歩道橋、砂浜陥没事故で引責」『神戸新聞』神戸新聞社、2003年2月12日。オリジナルの2004年10月28日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  10. ↑ 「辞表提出の明石市長が会見」『神戸新聞』神戸新聞社、2003年2月13日。オリジナルの2004年10月28日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  11. ↑ 「明石歩道橋事故、9遺族への5億6800万円賠償命令」『読売新聞』読売新聞社、2005年6月28日。オリジナルの2005年6月30日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  12. ↑ 「警備計画の過失認定 県警などに賠償命令 歩道橋事故判決」『神戸新聞』神戸新聞社、2005年6月28日。オリジナルの2007年8月19日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  13. ↑ 「明石歩道橋事故民事訴訟、神戸地裁判決が確定」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年7月13日。オリジナルの2005年7月14日時点におけるアーカイブ。2025年9月5日閲覧。
  14. ↑ 「警察官ら5人起訴 明石歩道橋事故」『神戸新聞』神戸新聞社、2002年12月26日。オリジナルの2004年10月28日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  15. ↑ 「歩道橋事故、元明石署地域官ら、2被告に実刑判決」『読売新聞』読売新聞社、2004年12月17日。オリジナルの2004年12月21日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  16. ↑ 「明石歩道橋裁判、「有罪」5被告全員が控訴へ」『読売新聞』読売新聞社、2004年12月17日。オリジナルの2004年12月17日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  17. ↑ 「明石の歩道橋事故裁判 5被告とも控訴へ」『朝日新聞』朝日新聞社、2004年12月17日。オリジナルの2004年12月28日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  18. ↑ 『朝日新聞』2005年2月24日 朝刊 3社会29頁「明石・歩道橋事故で、元次長の判決確定【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  19. ↑ 「明石歩道橋事故、元署幹部ら2審も実刑…大阪高裁」『読売新聞』読売新聞社、2007年4月6日。オリジナルの2007年4月8日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  20. ↑ 「元明石署幹部らの控訴棄却 花火大会歩道橋事故」『朝日新聞』朝日新聞社、2007年4月6日。オリジナルの2007年4月8日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  21. ↑ “明石の歩道橋事故 元署員らの実刑確定、収監へ”. 朝日新聞 (2010年6月2日). 2010年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
  22. ↑ 「元署長ら起訴相当 明石歩道橋事故」『神戸新聞』神戸新聞社、2004年4月24日。オリジナルの2005年3月6日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  23. ↑ 「「計画不備にメス」やっと 議決の意義評価」『神戸新聞』神戸新聞社、2004年4月24日。オリジナルの2004年10月28日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  24. ↑ 「明石歩道橋事故 元署長ら再び不起訴」『神戸新聞』神戸新聞社、2004年9月29日。オリジナルの2005年3月11日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  25. ↑ 「【明石歩道橋事故 検察審査会の議決要旨】」『神戸新聞』神戸新聞社、2005年12月23日。オリジナルの2006年1月26日時点におけるアーカイブ。2025年9月5日閲覧。
  26. ↑ 「歩道橋事故「元署長ら起訴を」 遺族が神戸地検に要望」『神戸新聞』神戸新聞社、2006年6月14日。オリジナルの2006年12月12日時点におけるアーカイブ。2025年9月5日閲覧。
  27. ↑ 『朝日新聞』2006年6月24日 朝刊 1社会39頁「元署長ら、3度目不起訴 業過致死、時効の公算大 明石の歩道橋事故 神戸地検」(朝日新聞東京本社)
  28. ↑ 『朝日新聞』2009年7月30日 夕刊 1社会1頁「兵庫・明石の歩道橋事故「起訴相当」 法改正後、最初の議決 検察審査会【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  29. ↑ 「兵庫・明石歩道橋事故で不起訴の明石署長が病死」『朝日新聞』朝日新聞社、2007年7月8日。オリジナルの2007年7月12日時点におけるアーカイブ。2025年9月5日閲覧。
  30. 1 2 3 『朝日新聞』2009年10月5日 朝刊 1社会27頁「なぜ不起訴 同じ説明4度目、遺族「市民感覚とずれ」 兵庫・明石歩道橋事故【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  31. 1 2 『朝日新聞』2006年10月18日 朝刊 2社会36頁「審査3度目申し立てへ 明石・歩道橋事故、「時効停止」と遺族【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  32. 1 2 『朝日新聞』2009年5月22日 朝刊 3社会30頁「遺族「望みかなえて」「起訴相当」2度なら起訴 兵庫・明石の歩道橋事故【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  33. ↑ 「花火大会事故 市民感覚が一石」産経関西、2010年1月28日
  34. 1 2 『朝日新聞』2010年1月28日 朝刊 1総合1頁「元副署長、強制起訴へ 検察審査会が再議決 兵庫・明石の歩道橋事故」(朝日新聞東京本社)
  35. 1 2 『朝日新聞』2012年1月19日 夕刊 1社会9頁「歩道橋での惨事から10年半、遺影と入廷 強制起訴の元明石署副署長初公判【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  36. ↑ 『朝日新聞』2012年9月13日 朝刊 1社会35頁「元副署長に禁錮求刑 強制起訴、時効が争点 明石歩道橋事故【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  37. ↑ 『朝日新聞』2012年11月15日 夕刊 1社会10頁「元副署長側、免訴求める「強制起訴時には時効」 明石歩道橋事故【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  38. ↑ “歩道橋事故:元副署長過失なし 時効成立、免訴 神戸地裁”. 毎日新聞. 2013年2月20日. 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2021年4月30日閲覧.
  39. ↑ “免訴判決を不服、指定弁護士が控訴 明石歩道橋事故裁判”. 朝日新聞 (2013年2月22日). 2013年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月30日閲覧。
  40. ↑ “元副署長、二審も免訴=過失認めず時効成立—明石歩道橋事故・大阪高裁”. ウォール・ストリート・ジャーナル (2014年4月23日). 2014年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月30日閲覧。
  41. ↑ 『朝日新聞』2014年4月23日 夕刊 1総合1頁「明石歩道橋事故、二審も免訴 強制起訴の元副署長 大阪高裁【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  42. ↑ “明石歩道橋事故で検察官役が上告 「免訴」に不服”. 朝日新聞 (2014年5月2日). 2014年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月30日閲覧。
  43. ↑ “明石歩道橋事故、元副署長の免訴確定へ…最高裁”. 読売新聞 (2016年7月14日). 2016年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月30日閲覧。
  44. ↑ 「明石市民夏まつり 02年の開催は見送り」『神戸新聞』神戸新聞社、2001年12月12日。オリジナルの2004年10月28日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  45. ↑ 「償いの重み かみしめ 遺族の言葉に市職員ら」『神戸新聞』神戸新聞社、2004年7月22日。オリジナルの2004年7月22日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  46. ↑ 「鎮魂の思い灯籠に 3年ぶり明石市民まつり」『神戸新聞』神戸新聞社、2004年8月28日。オリジナルの2004年8月29日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  47. ↑ 「笑顔戻った 明石市民まつり再開」『神戸新聞』神戸新聞社、2004年8月29日。オリジナルの2005年11月11日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  48. ↑ 『朝日新聞』2001年7月23日 朝刊 2社会38頁「祭り関係者、各地で警戒 明石の将棋倒し事故受け」(朝日新聞東京本社)
  49. ↑ 「神戸・農業公園の花火大会が中止に」『神戸新聞』神戸新聞社、2001年7月27日。オリジナルの2004年10月28日時点におけるアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
  50. ↑ 『朝日新聞』2001年7月24日 朝刊 滋賀1 29頁「びわ湖大花火大会、安全確認の強化始める 明石の将棋倒しで/滋賀」(朝日新聞大阪本社)
  51. ↑ 『朝日新聞』2001年7月24日 朝刊 京都1 29頁「警官、昨年の倍増員へ 宇治川の花火大会 /京都」(朝日新聞大阪本社)
  52. ↑ “車進入防止策を強化、厳戒態勢へ 8日びわ湖大花火大会で滋賀県警 - 来年は8月7日開催”. 京都新聞. 2008年8月7日. 2009年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2021年4月30日閲覧.
  53. ↑ 『朝日新聞』2002年2月20日 朝刊 茨城2 34頁「交通アクセス(サッカーW杯成功に向けて:1) /茨城」(朝日新聞東京本社)
  54. ↑ 『朝日新聞』2002年6月1日 朝刊 茨城2 30頁「カシマスタジアム来場案内、Q&A方式で説明 サッカーW杯/茨城」(朝日新聞東京本社)
  55. ↑ 平成14年度 社会貢献者表彰式典 日本財団図書館(電子図書館)
  56. ↑ “20年前の惨事、助けた大学生と助けられた女の子のいま:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2021年7月20日). 2022年11月1日閲覧。
  57. ↑ 『朝日新聞』2001年7月23日 朝刊 2社会38頁「ドミノ倒しのコントを自粛 明石の将棋倒し事故受けフジテレビ」(朝日新聞東京本社)
  58. 1 2 “「将棋倒し」使わないで=明石の事故で日本将棋連盟が要望(時事通信)”. Yahoo!ニュース (2001年7月25日). 2001年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月2日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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