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前田遼一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前田 遼一
名前
愛称 マエチン[1]
カタカナ マエダ リョウイチ
ラテン文字 MAEDA Ryouichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-10-09) 1981年10月9日(45歳)
出身地 兵庫県神戸市[2][3]
身長 183 cm
体重 78 kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 右足[1]
ユース
0000-1993 日本の旗 リバースJr.FC
1994-1996 日本の旗 暁星中学校
1997-1999 日本の旗 暁星高校
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
2000-2014 日本の旗 ジュビロ磐田 363 (154)
2015-2018 日本の旗 FC東京 103 (17)
2019-2020 日本の旗 FC岐阜 59 (6)
通算 525 (177)
代表歴2
1999-2001  日本 U-18/19/20 29 (7)
2002-2004  日本 U-21/22/23 18 (1)
2007-2013[4] 日本の旗 日本 33 (10)
監督歴
2022 日本の旗 ジュビロ磐田U18
1. 国内リーグ戦に限る。2020年12月24日現在。
2. 2013年6月22日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

前田 遼一(まえだ りょういち、1981年10月9日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード(FW)[注 1]。元日本代表。

来歴

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プロ入り前

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兵庫県神戸市で生まれる。1歳の頃からアメリカへ転居し、小学1年生までの6年間をロサンゼルスで過ごす[2]。日本へ帰国し小学2年生からは東京都の小学校へ、同3年生時に横浜市へ転居し[2]鴨志田緑小学校に通った。

2歳年長[2]の兄の影響でサッカーを始め[7] 小学3年生の時に本格的に取り組み始める[3]。1993年度の全国高校選手権を観て、同大会に出場した暁星高校への進学を決め[3] 1994年より暁星中学校へ進学。中学生時には東京都選抜やナショナルトレセンに選出された[3]。

高校生時には国体東京都代表として1学年下の田中達也(帝京高校)らとともに2年次にベスト8入り[3]。暁星高では主将も務めていたが[3]、全国高校選手権は高2高3のいずれも東京都予選の準決勝で敗退したため1度も出場できなかった。また、ヴェルディ川崎の強化指定選手に登録されていた。当時は全国高校選手権で活躍した3学年年上の中村俊輔に憧れ[2][8]、足元の技術やプレースタイル全般について影響を受けた[9]。

ジュビロ磐田

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慶應義塾大学に推薦入学が決まっていたが、Jリーグ13チームからの勧誘や[10][11] 高校の監督の薦めもあってプロ入りを決断し、2000年よりジュビロ磐田に入団。

磐田にはドリブルを得意とする[12]ミッドフィールダー(MF)として加入するも[9][13][注 1]磐田のMFの選手層が厚かったことや[8]、トップ下[10]、1.5列目のFWなど[2]起用法が一貫せず[注 2]、2001年までは出場機会が乏しかった。同年9月のJ1セカンドステージ第1節清水戦(静岡ダービー)でJリーグ初得点[15]。

徐々に出場機会を増やしつつあったが、2002年6月のヤマザキナビスコカップ仙台戦で後方からの悪質な[12] ファウルによって右膝を負傷し、外側半月板縦断裂の診断を受け、長期離脱[16][10]。

磐田のチームメートである中山雅史及び高原直泰に影響されて、目指すストライカー像を描きFWとしての素養を磨いていくと[17][8][12][18][19]、負傷から回復した2003年には恥骨結合炎により欠場した中山の代役として2トップの一角に起用され、ゴール前での精力的な動き出しから[10]、リーグ戦7得点を挙げた。

2005年からはリーグ戦で3年連続で2桁得点を記録。2007年は右膝半月板損傷によって[20] 出遅れたが、復帰後は攻撃の大黒柱として高レベルのプレーを見せた[1]。同年10月9日、自身の誕生日に結婚。

2008年、序盤は半月板損傷による再離脱もあったが[21] 中盤以降復帰し[22]、同年10月5日のJ1第28節札幌戦では、2005年7月9日のJ1第15節C大阪戦以来となる3年ぶりのハットトリックを達成し完調をアピールした[23]。

2009年には10月25日のJ1第25節名古屋戦で自身J1リーグ戦3度目となるハットトリックも達成。自身初めてリーグ戦全試合フル出場を果たし、PKなしでの20得点を記録して得点王に輝いた。また、自身初のJリーグベストイレブンにも選出された。同年オフには複数クラブから移籍を打診され争奪となるも[24][25][26]磐田に残留[27]。

2010年、磐田との2年契約を締結[27]。なお、クラブからは同年限りで磐田を退団する中山の背番号9を託されていたが[28][24][27]、これを固辞している[注 3]。同年11月のヤマザキナビスコカップ決勝戦では広島を相手に、延長戦に入っても衰えないプレーぶりで[12]自身の挙げた2得点を含めて4得点に絡む大活躍を見せ[29][17] 大会MVPに選出された。同月27日のJ1第33節名古屋戦ではヘディングシュートを決め、史上9人目 (日本人では5人目) [注 4] にして歴代最年少となる[15] J1通算100得点を[30]達成。積極的にプレスを掛け、味方のスペースを作る動きと[31]正確なトラップ、懐の深いポストプレーで確実にボールを繋ぐ[32]多様な働きに加え、通年での活躍によって[33]前年より減ったもののシーズン通算17得点を記録。2年連続の得点王(ジョシュア・ケネディ(名古屋)と同点で両名受賞)に輝き、Jリーグベストイレブンにも選出された。2年連続得点王は史上初である[34][14][33]。

2011年はシーズン中盤の負傷離脱もあり3年連続での得点王を逃したが、怪我からの復帰後は9試合6得点と奮闘し、通年では14得点を挙げた。この年限りで磐田との契約が切れる[27][35] こともあって、横浜FMなどの他[36][37][26][35]、イングランド2部リーグ・ウェストハムUtdから獲得オファーを受け[37][38] 渡英[39]。メディカルチェック及び練習参加を行うも[40]、労働ビザ取得がネックとなり[41][39][注 5]契約には至らなかった[40]。

2012年はチームの1トップ採用にも適応し[42]、相手からのマークが厳しくなる中でつぶれ役としても奮闘[43]。日本代表招集中の負傷の影響で1試合欠場したものの、33試合に出場した。中盤までは好調で、得点ランキングでは一時佐藤寿人に次ぐ2位にまで浮上するも、後半は調子を落とし、最終節まで9試合無得点(自身が欠場した試合含めれば10試合)だったが、最終節G大阪戦では1得点1アシストの活躍で、通年で13得点を挙げた[44]。

2013年は「ホットライン」を形成していた駒野友一や[45] 他の攻撃陣との連携が合わず[46]、得点の好機が激減[47]。波に乗り切れないまま[48] 5年連続のJ1二桁得点を果たせずJ2降格を喫した。

横浜FMからの再オファーも報じられたが[49][48]交渉はまとまらず[50]、2014年は磐田の顔として[51] クラブ・自身共に初となるJ2でプレー。同年7月5日、J2第21節京都戦でJリーグ通算150得点を挙げた[52]。シーズン終盤になって名波浩が監督に就くと、初戦のJ2第34節愛媛戦からゲームキャプテンを任された[53][54]。名波はこの登用について「ゴールでチームを引っ張ってほしいのですが、それだけの責任では足りないと。彼がこのクラブで高校を卒業してからやってきて作り上げた地位は確固たるものだと、僕自身もサポーターもそれからクラブも思っていると思うので。その確固たる地位というのはだれからも信頼されて、尊敬される立場だと思いますし、そこに責任というのを前田にのしかけたいということが一つ。」と話している[55]。通年37試合17得点を記録しチーム得点王となったが[53]、プレーオフで敗れJ1昇格は叶わなかった。

磐田からはエース[53]の流出を防ぐべく契約延長を打診されていたが、大幅な減俸提示であったことから[54] J1でのプレーを希望し[26]、この年限りで15年在籍した磐田を退団。

FC東京

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2015年、FC東京へ完全移籍[56][57]。当初は2年ぶりのJ1と初めての移籍に戸惑い[58]、適応するまでにやや時間を要したが[59]、6月の1st第17節清水戦では2得点を挙げて三浦知良を上回るJ1通算140得点を記録[60]。9月の2nd第10節神戸戦では6年ぶり[61][62]、自身4度目となる[63] ハットトリックを達成した。味方の攻め上がりを促すポストワークも健在で[64][65]、前線の核として定着した。

2016年5月、ACL第6節ビンズオン戦では決勝トーナメント進出を決める2得点を挙げた[66]。同年8月13日、2nd第8節神戸戦で史上5人目となるJ1通算150ゴールを達成[67]。同年9月の同11節湘南戦において、頭による得点では通算45得点目となるヘディングシュートを決め、中山雅史の持つJリーグ記録を更新した[68]。さらに、J1通年での敵陣における空中戦勝率で日本人最高値を記録している[69]。また、得点以外でも得意のポストプレーやチームトップクラスの走行距離を記録し、貢献している。

2017年8月9日に行われた第21節大宮戦でJ1通算400試合出場を達成[70] するも、シーズン通してレギュラーを獲得出来ず、J3リーグに所属するFC東京U-23の試合に出場する事もあった。

2018年シーズンもレギュラーを獲得出来なかったが、最終節の浦和戦で得点を決めて[71] 15年連続リーグ戦得点を挙げた。シーズン終了後に契約満了により4年間在籍したチームを退団[72]。

FC岐阜

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2019年1月7日、FC岐阜へ完全移籍[73]。5月5日、第11節のFC琉球戦で移籍後初ゴールを決めた[74]。また9月14日にはJ1、J2、J3を合わせたJリーグ通算500試合出場(カップ戦除く)を達成した[75]。

2020年12月26日、契約満了による退団が発表された[76]。

引退後

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岐阜との契約満了後、代表のユース時代のチームメイトの茂庭照幸が所属するFCマルヤス岡崎や01年ワールドユースで監督だった西村昭宏がGM兼監督を務める高知ユナイテッドSC(共にJFL)からのオファーや、正式オファーではなかったもののカンボジアのチームから興味を持たれ引退か現役を続けるか葛藤する。しかし、「現役選手を続けるよりも、指導者の道に進んだ方がやりがいがあるんじゃないかと感じたこと」で、現役引退を決意[77]。2021年1月14日に現役を引退し[78]、ジュビロ磐田U-18のコーチに就任する事を発表した[79]。2023年にジュビロ磐田に監督として招聘された横内昭展の後任として森保ジャパンのコーチに就任[80]。

日本代表

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高校3年生時にU-18日本代表に選ばれ[16]、2000年にはU-19日本代表の一員としてAFCユース選手権準優勝に貢献。1得点ながら柔軟なボールコントロールと閃きでチャンスを作り[16]大会MVPに選出された[10][81]。2001年には、U-20日本代表の一員としてワールドユースに出場した。

2001年10月、20歳にして[82]フィリップ・トルシエ率いるA代表の候補合宿に初選出された[83]。翌2002年からのジーコ体制下の4年間は招集なし[82]。

2004年はU-23日本代表としてアテネオリンピック最終予選に出場[84]。既に磐田ではFWでのプレーを続けていたが、監督の山本昌邦からはMFに配された[8][85]。本大会直前で[86] メンバー選考から漏れ、予備登録に留まった。

2006年秋、イビチャ・オシム指揮の下、これまで候補止まりであったA代表に初選出された。オシムからは、運動量が非常に多く、個人技術に優れ、見た目にはそれほど速くは見えないが、いつの間にか相手にとって危険な地域にいる、日本に不足していたタイプと評され[87] 大きな期待を寄せられた[31]。2007年10月17日、エジプト代表戦[注 6]に先発出場し、国際Aマッチ初ゴールを挙げた。

オシム後任の岡田武史からも高さ・足元の技術・守備意識を併せ持つ点を認められ[88]、2008年の東アジア選手権に出場。北朝鮮代表戦で代表2得点目を挙げるも、古傷の右膝痛がぶり返したため[22]大会途中で離脱[89]。岡田はその後も招集の機会を探っていたが、コンディションが整わず選外が続いた[23][88]。2009年に入って復調し[88]、リーグ戦の活躍が評価されて同年9月に約1年3か月ぶりの[90]代表復帰[91]。しかし、2トップでのプレーを希望する前田に対し、岡田は1トップに入ることを要求[32]。最終的には戦術不適合とされ[33]、翌年開催のワールドカップ本戦では予備登録止まりでメンバーから外れた。

2010年、アルベルト・ザッケローニの監督就任以降は初采配時から代表に選ばれ、1トップに入りしぶとくポストプレーをこなして味方を助け[18]、2011年1月開催のAFCアジアカップにも選出された。身体の強さと高さを発揮し、巧みにボールを引き出してチーム戦術に適応[92]。同大会では全6試合に先発出場し、グループリーグサウジアラビア代表戦で2得点、準決勝韓国代表戦では同点に追いつくゴールを決め、日本代表の2大会ぶり4回目の優勝に貢献した。怪我の影響で一時選外となるが、同年11月に代表に復帰し、FIFAワールドカップアジア3次予選のタジキスタン代表戦には途中出場で1得点を挙げ、北朝鮮代表戦では先発出場した。同年の活躍により、日本代表のエースストライカーとも称された[38]。

2012年もA代表に定着し、ザッケローニが海外でプレーするFWが見たいと明言して選抜した[93] FIFAワールドカップアジア3次予選のウズベキスタン代表戦を除く予選全試合に招集されるも、同年10月の欧州遠征では練習中に左太腿裏を痛め、試合に出場しないまま途中離脱[94]。FIFAワールドカップアジア最終予選では、1トップとして[82]全試合に先発出場。前線の好連携で[19] 攻撃のリズムを作り出し[95]、自身も5試合で3得点を挙げる高い得点能力で[19]予選突破を果たした[53]。

2013年のFIFAコンフェレーションズカップでも、得点場面だけではない90分通しての貢献度を高く評価されて[96] 全3試合に出場。ザッケローニからはイタリア代表戦においてアンドレア・ピルロ対策を完璧に行ったと賛辞され[97]、元イタリア代表監督のアリゴ・サッキからも同試合で一番印象に残った選手として挙げられたが[98]、好機を逸し[99] 無得点に終わる。その後、代表経験の少ない選手中心で臨んだ東アジア選手権で柿谷曜一朗と大迫勇也が活躍すると、以降はその2人を起用する形となり、2014 FIFAワールドカップ本大会メンバーからも外れた[100]。W杯メンバーからは外れたものの、メンバー発表後にザッケローニは通訳の矢野大輔を通じて電話で前田にこれまでの感謝の言葉を送っている[101]。

人物・エピソード

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特に無口では無いが[32]、「記者泣かせ」と形容される程[8] 人前では寡黙で[17]、インタビューは苦手[11][102]。前田本人も自身のキャラクターを認め、「話をしないイメージに乗っかって楽させてもらっているのかも」と語っている[58]。

大食漢

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大食漢として知られている[102][103]。2004年のアテネオリンピック予選では、UAE遠征中の代表メンバー内に下痢が蔓延する中[85]、前田はこれに動じることなく食事をとっていた[104]。2011年のAFCアジアカップの際には「中東の空気は嫌いじゃない。食事も何でも食べられる」とコメント[105]。チームメートの川島永嗣は「代表の食事の時とか、僕も結構食べる方なんですけど、食事の終わり頃になっても『まだ食べてるの?』っていうのはよくあります」と前田の食べっぷりを明かしている[106]。

30歳を過ぎても食べる量は落ちず、2012年末にはジュビロ磐田のシーズンシート購入者への感謝イベント『2012 Jubilo Corte Azul Awards』で今年一年最も食べたで賞を受賞した[107]。また、食べたらタダになる1300グラムのCoCo壱番屋のカレーを約20分で完食したことがある[108]。FC東京移籍後はクラブ側もこれを積極的にネタに使っており、「#ごはん大好き前田選手」というtwitterのハッシュタグを設け、いわゆるスタジアムグルメの宣伝等に利用している[109]。2015年にスカパー!のコパ・アメリカ中継のCMに出演した際も「丼飯を沢庵だけをおかずに食べる」という大食漢キャラを利用した設定がされた[110]。なお、ごはんが食べられなくなるという理由で間食はしない[111]。

ジンクス

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年度初得点対戦相手順位結果
2007第14節甲府17位J2降格
2008第19節東京V17位J2降格
2009第5節千葉18位J2降格
2010第4節京都17位J2降格
2011第10節山形18位J2降格
2012第3節G大阪17位J2降格
2013第5節浦和6位J1残留

「前田遼一がリーグ戦でシーズン最初のゴールを決めた相手はJ2に降格する」という内容のジンクス「前田(遼一)の呪い」が、2012年シーズン終盤に相次いで報じられた[112][113][114]。現に、2007年のヴァンフォーレ甲府に始まり、東京ヴェルディ、ジェフユナイテッド市原・千葉、京都サンガF.C.[90]、モンテディオ山形と5年連続で対象クラブの降格が続いていた。

2012年の対象クラブはJリーグの「オリジナル10」の一つであり、降格経験のないガンバ大阪であったが、G大阪もまた前年まで3、2、3位と続いていた好成績が一転して残留争いに巻き込まれ、最終節で磐田との対戦に敗れれば降格という事態に陥る。そして試合は、前田の1得点1アシストを含む2-1のスコアで磐田が勝利し、G大阪の降格が決定。6年連続でジンクスが継続する結果となった[115][116]。

2012年のG大阪戦の後、前田はこのジンクスについて「思うところは何もない[117]」「もともと何も考えていない[118]」とコメントした。

その後、2013年シーズンの開幕時にコメントを求められた際には「僕としてはやめてほしい。そういう話とは関係なく、ゴールを決めたい[119]」と、快く思っていないことを明かし、また、磐田監督の森下仁志も「デスゴールなどと言うのは遼一に対しても相手に対しても失礼」と話した[120]。一方、2013年のリーグ初戦で対戦した名古屋グランパス監督のドラガン・ストイコビッチは、引き分けとなった試合終了後の会見で自ら切り出して「ひとつ大事なことがある。それは前田にゴールを入れさせなかったことだ」と語り、さらに頭の上で丸印を作り「これでJ1に残れる」と笑顔を見せた[121]。

多くのスポーツ新聞やテレビ番組等に報じられ、過熱する「デスゴール報道」に、磐田は困惑し、服部健二GMは報道陣に対して「パフォーマンスに影響が出る可能性があるので、1点目を取るまでは磐田発信でのこの件に関する報道は控えてほしい」と報道の自粛を要請した[122]。

このジンクスは日本のマスコミだけではなく、イギリスのサッカー誌フォーフォーツーでも取り上げられたことがある[123]。

2013年シーズンはアウェイの浦和戦で決めたが「デスゴール」と報じるメディアが存在した[124]。しかし、対浦和戦での前田の初ゴールの場合、浦和がタイトルを獲得した過去(2003年と2005年が該当するが浦和はJ1に残留し、ナビスコカップ、天皇杯を優勝した)があったため、日刊スポーツは「デスゴール」を見出しに使いつつも「エンゼルゴール」と表現した。[125]最終的に浦和は6位でJ1に残留、対して前田の所属する磐田がJ2に降格した。

2014年シーズンに前田がシーズン初ゴールを決めたカマタマーレ讃岐も年間21位の成績でJ2・J3入れ替え戦に回るも、AC長野パルセイロに勝ち、J2残留を決めた。

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000磐田24J110003040
2001925121164
20021840203191
200328795514213
200427861533812
2005251222002714
2006271571323718
2007221200212413
20082280000228
2009342063214224
20103317103104420
2011281431003115
2012331342113816
201333941213911
2014J23717-003717
2015FC東京20J130960213810
20162963010336
20172617110342
20181811000191
2019岐阜11J2345-00345
2020J3251--251
通算日本J1 42915472213213533188
日本J2 7122-007122
日本J3 251--251
総通算 52517772213213629211
  • 1999年は強化指定選手としての公式戦出場はなし

その他の公式戦

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 期間通算
2017F東2320J32020
20188383
通算日本J3 103103
総通算 103103
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2004磐田1831
200530
2016FC東京2083
通算AFC 144

その他の国際公式戦

出場歴
ハットトリック

代表歴

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出場大会など

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試合数

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  • 国際Aマッチ 33試合 10得点 (2007年 - 2013年)[4]
日本代表国際Aマッチ
年出場得点
200721
200811
200920
201020
201194
201284
201390
通算 3310

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2007年8月22日日本の旗大分九州石油ドームカメルーンの旗 カメルーン○2-0オシムキリンチャレンジカップ2007
2. 2007年10月17日日本の旗大阪大阪長居スタジアムエジプトの旗 エジプト○4-1オシムAFCアジア/アフリカチャレンジカップ2007
3. 2008年2月17日中華人民共和国の旗重慶重慶市奥林匹克体育中心朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国△1-1岡田武史東アジアサッカー選手権2008
4. 2009年9月9日オランダの旗エンスヘーデデ・フロルーシュ・フェステガーナの旗 ガーナ○4-3岡田武史国際親善試合
5. 2009年10月10日日本の旗横浜日産スタジアムスコットランドの旗 スコットランド○2-0岡田武史キリンチャレンジカップ2009
6. 2010年10月8日日本の旗さいたま埼玉スタジアム2002アルゼンチンの旗 アルゼンチン○1-0ザッケローニキリンチャレンジカップ2010
7. 2010年10月12日大韓民国の旗ソウルソウルワールドカップスタジアム大韓民国の旗 韓国△0-0ザッケローニ国際親善試合
8. 2011年1月9日カタールの旗ドーハカタールSCスタジアムヨルダンの旗 ヨルダン△1-1ザッケローニAFCアジアカップ2011
9. 2011年1月13日カタールの旗ドーハカタールSCスタジアムシリアの旗 シリア○2-1ザッケローニAFCアジアカップ2011
10. 2011年1月17日カタールの旗アルライヤンアフメド・ビン=アリー・スタジアムサウジアラビアの旗 サウジアラビア○5-0ザッケローニAFCアジアカップ2011
11. 2011年1月21日カタールの旗ドーハサーニー・ビン・ジャーシム・スタジアムカタールの旗 カタール○3-2ザッケローニAFCアジアカップ2011
12. 2011年1月25日カタールの旗ドーハサーニー・ビン・ジャーシム・スタジアム大韓民国の旗 韓国○2-2

(PK3-0)

ザッケローニAFCアジアカップ2011
13. 2011年1月29日カタールの旗ドーハハリファインターナショナルスタジアムオーストラリアの旗 オーストラリア○1-0ザッケローニAFCアジアカップ2011
14. 2011年6月1日日本の旗新潟東北電力ビッグスワンスタジアムペルーの旗 ペルー△0-0ザッケローニキリンカップサッカー2011
15. 2011年11月11日タジキスタンの旗ドゥシャンベドゥシャンベ・セントラル・スタジアムタジキスタンの旗 タジキスタン○4-0ザッケローニ2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
16. 2011年11月15日朝鮮民主主義人民共和国の旗平壌金日成競技場朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国●0-1ザッケローニ2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
17. 2012年2月24日日本の旗大阪大阪長居スタジアムアイスランドの旗 アイスランド○3-1ザッケローニキリンチャレンジカップ2012
18. 2012年5月23日日本の旗袋井エコパスタジアムアゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン○2-0ザッケローニキリンチャレンジカップ2012
19. 2012年6月3日日本の旗さいたま埼玉スタジアム2002オマーンの旗 オマーン○3-0ザッケローニ2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
20. 2012年6月8日日本の旗さいたま埼玉スタジアム2002ヨルダンの旗 ヨルダン○6-0ザッケローニ2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
21. 2012年6月12日オーストラリアの旗ブリスベンブリスベン・スタジアムオーストラリアの旗 オーストラリア△1-1ザッケローニ2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
22. 2012年8月15日日本の旗札幌札幌ドームベネズエラの旗 ベネズエラ△1-1ザッケローニキリンチャレンジカップ2012
23. 2012年9月11日日本の旗さいたま埼玉スタジアム2002イラクの旗 イラク○1-0ザッケローニ2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
24. 2012年11月14日オマーンの旗オマーンスルタン・カーブース・スポーツコンプレックスオマーンの旗 オマーン○2-1ザッケローニ2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
25. 2013年2月6日日本の旗神戸ホームズスタジアム神戸ラトビアの旗 ラトビア○3-0ザッケローニキリンチャレンジカップ2013
26. 2013年3月22日アラブ首長国連邦の旗アル・アインハリファインターナショナルスタジアムカナダの旗 カナダ○2-1ザッケローニ国際親善試合
27. 2013年3月26日サウジアラビアの旗ブライダキングアブドゥラースポーツシティスタジアムヨルダンの旗 ヨルダン●1-2ザッケローニ2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
28. 2013年5月30日日本の旗豊田豊田スタジアムブルガリアの旗 ブルガリア●0-2ザッケローニキリンチャレンジカップ2013
29. 2013年6月4日日本の旗さいたま埼玉スタジアム2002オーストラリアの旗 オーストラリア△1-1ザッケローニ2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
30. 2013年6月11日カタールの旗ドーハグランド・ハマド・スタジアムイラクの旗 イラク○1-0ザッケローニ2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
31. 2013年6月15日ブラジルの旗ブラジリアエスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリアブラジルの旗 ブラジル●0-3ザッケローニFIFAコンフェデレーションズカップ2013
32. 2013年6月19日ブラジルの旗レシフェアレナ・ペルナンブーコイタリアの旗 イタリア●3-4ザッケローニFIFAコンフェデレーションズカップ2013
33. 2013年6月22日ブラジルの旗ベロオリゾンテエスタジオ・ゴベルナドール・マガリャンイス・ピントメキシコの旗 メキシコ●1-2ザッケローニFIFAコンフェデレーションズカップ2013

ゴール

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#開催年月日開催地対戦国勝敗試合概要
1.2007年10月17日日本、大阪エジプトの旗 エジプト○4-1AFC アジア/アフリカ チャレンジカップ
2.2008年2月17日中国、重慶朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国△1-1東アジアサッカー選手権2008
3.2011年1月17日カタール、アル・ラーヤンサウジアラビアの旗 サウジアラビア○5-0AFCアジアカップ2011
4.
5.2011年1月25日カタール、ドーハ大韓民国の旗 韓国△2-2
(PK3-0)
6.2011年11月11日タジキスタン、ドゥシャンベタジキスタンの旗 タジキスタン○4-02014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
7.2012年2月24日日本、大阪アイスランドの旗 アイスランド○3-1キリンチャレンジカップ
8.2012年6月3日日本、埼玉オマーンの旗 オマーン○3-02014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
9.2012年6月8日ヨルダンの旗 ヨルダン○6-0
10.2012年9月11日イラクの旗 イラク○1-0

タイトル

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クラブ

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ジュビロ磐田

個人

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指導歴

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出演

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CM

作品

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DVD
  • 「前田遼一 ROAD -まだ何も成し遂げていない-」 (2012年)ASIN B006Y6T65Y

脚注

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注釈

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  1. 1 2 2003年以前はMF登録[5]。2004年からFWへ登録変更[6]。
  2. ↑ 後に、磐田のチームメート川口能活は、MFを経験していることが前田のFWとしての強みの一つと語っている[14]。
  3. ↑ 9番を引継ぐ者は無く、2010年及び2011年は9番が空き番となった。
  4. ↑ 磐田所属経験のある選手としては中山雅史、藤田俊哉(達成時は名古屋所属)に次ぐ3人目。一つのクラブでJ1通算100得点を達成したのは日本人では中山と前田のみ。
  5. ↑ イングランドは、外国籍選手の就労ビザ取得要件が他国と比べて厳しい[38]。
  6. ↑ オシムが日本代表監督として指揮した最後の試合である[31]。

出典

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  13. ↑ <危機感と並走するFW> 前田遼一「今の俺の実力のままでは、W杯のピッチに立てない」(2/3) Number Web (2013年4月12日)
  14. 1 2 “史上初! 前田が2年連続得点王…磐田”. 2010年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月6日閲覧。 スポーツ報知 (2010年12月4日)
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  16. 1 2 3 21世紀の骨のあるヤツ 第138回 前田遼一 サッカー ぴあ (2002年9月17日)
  17. 1 2 3 前田が圧巻の2得点2アシストで名実ともにエースへ、「今日は遼一デー」 ゲキサカ (2010年11月3日)
  18. 1 2 献身的なFW“ジュビロの前田遼一”は、“日本の前田遼一”になれるのか? (2/3) Number Web (2010年11月17日)
  19. 1 2 3 【日本代表】前田遼一「そりゃ、自分で点が取れれば取りたい」(1/3) Sportiva (2013年3月5日)
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  23. 1 2 磐田FW前田ハット岡ちゃん眼前で/J1 日刊スポーツ (2008年10月6日)
  24. 1 2 磐田新旧エース流出危機 前田にオファー 日刊スポーツ (2009年11月23日)
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関連項目

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外部リンク

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